「若者に金がないのは苦労をしないから」と“若者の貧困”を自己責任論で片づける日本社会の勘違い

 

中年以降、50代以上の人たちと話をしていると、若者に金がないのは単純に贅沢をしているせいだ、あるいは努力が足りないからだと、本気で思っていたりする。自分が身を置いている恵まれた環境を客観視できずに「貧困=自己責任」といった固定観念を持つ人々はそう少なくない。

 

「バブル時代から100万円以上も平均年収が減少」

 

 30年前と比べると、現在、日本の平均給与は100万円以上も下がっている。貧困層は貧困のまま、かつては中間層と呼ばれていた人々まで「貧困化」してしまった。「失われた30年」では個人が貧しくなったのではなく、国自体が貧しくなっているのだから、若者が努力しようがしまいが、個人の努力レベルでこの社会的構造を変えることは不可能なはずだ。

 終身雇用制度が機能していた頃であれば、年齢が上がるとともに年収が右肩上がりに増えるのが一般的であったものの、安全神話が崩れ去った今はそうではない。本来なら結婚や子育てなどで経済的な負担が大きくなる30代になってもさほど賃金は上がらず、不安定な雇用によって将来への不安を抱える若者たちが結婚や出産に踏み切れない気持ちは、同じ理由で子供がいない私にも痛いほどわかる。

 

 30年前に若者だった世代からすれば、若者が子を産み、少子化を解消してくれなければ自分たちの老後の生活が保障されない不安は当然あるだろう。しかしながら「今の若者は努力もせず、欲もなく、結婚や子育てにも後ろ向きで社会に貢献していると言えない」といった不満があるとすれば、それは若者に向けるべきものではなく、不安定な雇用を生み出し、若者に投資してこなかった権力側に向けるべきものではないか。

 氷河期世代の引きこもり実態調査を数年前まで行わず、対策を講じるでもなく見て見ぬ振りを続けてきたツケが現在の状況に繋がっているのではないか。

 

「賃金は上がらず生活コストは増えていく一方」

 若者の貧困について言えば、賃金は上がらないのに、生活にかかる最低限のコストが増えていることも要因のひとつだろう。バブル期に比べて社会保険料は約2倍になり、消費税率も10%に達した。今やライフラインであり欠かすことができない通信費などの支出の増加により、都市部に暮らしている若者は、貯金もろくにできないほど可処分所得が目減りしている。

 

 このように書くと今度は「都市部に住もうと思うからいけない」と横槍が入りがちなので念のため付け加えておくと、現実問題、地元や田舎では仕事がなく、あっても選択肢が少ないため都会に出るのであって、若者たちは決して、都会に住みたいから後先考えずに都会で就職しているわけではないのだ。

「子供は欲しいけど、現実的に考えると正直厳しい。自分ひとりで生活するのもやっとの状況で、貯金も十分にできない。年金には期待できないと思い、老後のことを考えてNISAiDeCoを始めたけれど、今より収入が減ってしまったらそれも継続が難しいと思う」

 私と同世代である30歳前後の人に話を聞くと、やはりほとんどが将来への不安を少なからず抱えていて、特に子供を育てることに関しては「養える自信がない」と答える人が多い。東日本大震災やコロナ禍を経てさらに景気は悪化し、身近な人が失職することもあれば、突然収入が途絶えるケースも嫌というほど目の当たりにしてきた。特に、コロナ禍において真っ先に解雇されたのは非正規雇用者であり、その多くは女性や若者たちであった。

 

「車も家も子供も夢のまた夢の時代に……

 ここ10年ほどの間に、誰もが一寸先は闇、明日は我が身を経験して「貧困」が他人事だとは思えなくなったのは当然のことだと思う。

 そして今や共働きでなくては家計の維持は難しく、子育てをするならばそれまでにキャリアを積み重ねておき、出産後にスムーズに復職したいところだが、それもなかなか思い描いたようにはいかない。

 そもそも「結婚・出産適齢期である」と判断された女性は「どうせ辞めるだろうから」「産休の間、代わりを探すのが大変だから」とキャリアアップしづらいのが現状であり、たとえ本人に出産の意思がなくとも、適齢期の女性だからというだけで、同じ世代の男性よりも機会を奪われてしまう。

 

 たとえ出産後の復職が可能な環境であっても、保育所が見つからなければ働くこともできない上、民間の保育所であれば保育料が高額で、月収と変わらないほどかかることもあり、それではなんのために働いているのかわからない。こんな状況で、少子化が解消されるはずがないのは明白である。

 かつては当たり前のようにライフプランに組み込まれていた「結婚」「出産」「マイカー所持」「マイホーム購入」が、もはや「普通」ではない時代になってしまった。

「若者の貧困問題」とは言いつつ、実際は若者だけでなくすべての世代がこの問題の当事者であり、一部の人々を除いては誰もが突然、貧困に陥る可能性が十分にある今、自己責任論で問題を矮小化し、その責任を国民同士で押し付けあっている場合ではないだろうにと思う。